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■故・日野原重明氏
元・聖路加国際病院理事長,元・日本音楽療法学会理事長,元・フィーリングアーツ研究会顧問
著書:「生きかた上手」,「人生百年私の工夫」,「豊かに老いを生きる」,「いのちの言葉」など多数

すばらしいアートを皆さんにご紹介したいと思います.光と音と抽象絵画が皆さんのこころの中に幻想的な美の世界を創り出す.創り出されるアートというのは,皆さんのこころの状態ですっかり変わってくる.皆さんはそういう意味で,それぞれ固有のイマジネーションの世界に誘導されて,そして自分が今どこにいるのかということなどは全く忘れてしまって,純粋な,このアートの世界で,こころの安らぎがおそらく得られると思います.

■アンドルー・ワイル氏
アリゾナ大学統合医療プログラム・ディレクター,フィーリングアーツ研究会顧問
著書:「癒す心・治る力」,「ナチュラル・メディスン」,「人はなぜ治るのか」,「ナチュラル・マインド」など多数

フィーリングアーツの体験は,非常に瞑想的だ.最初は,キャンバス上のイメージに気持ちが集中した.やがて私の関心は自分の内面に向かい,とてもリラックスすることができた.最後には,平和で幸福感に満ちた気持ちを味わった.目と耳と心で感じるこのような体験は,セラピー(療法)としての効果も大いに期待できる.さまざまな病の患者に対して役立てることができるだろう. 戻る
 

体感者の感想

”日本保健医療行動科学会年報 Vol.16, 104-115, 2001”に掲載された北村義博の論文「芸術と医療:癒しのアート"フィーリングアーツ"」から、以下に引用します。

X 体感者のコメントから
 これまでフィーリングアーツを体感していただいた方々から,数多くのコメントをいただきました.先ほども述べましたように,フィーリングアーツは,私と体感者が共同して作りあげるアートです.そういう意味で,体感者の方々のコメントは,いわば作者のコメントでもあると思います.紙数の関係もあり,ここですべてを紹介することができず,残念ですが,そのうちの一部を紹介させていただきたいと思います.

●私が北村氏のフィーリングアーツを体感した際,このステートメントがいかに深い真実であるかを実感した.キャンバス,光,音の総体は日常のストレス,苦しさ,不安を超えて完全にリラックスできる貴重な機会を私に与えてくれた.誘導されてみる映像と異なり,フィーリングアーツは光と音楽によって作られるイメージを自分なりに解読せよと観客を誘う.慢性疾患や不治の病を抱えた患者たち,あるいは病床から逃れることができない患者にとって,フィーリングアーツは感情の浄化役を果たしてくれるにちがいない.(アマンダ・スピールマン,元米国スタンフォード大学病院アートディレクター)

●フィーリングアーツの鑑賞,それは精神の深い部分のその人それぞれに流れる小さな宇宙ともいえる何かに対して,静かに,あるいは激しく訴えかけてやまない.  はじめて私がこのきわめて波動の高い芸術作品を目にしたとき,「芸術は何処まで神の領域に近づくのか」という感嘆に身体が震える気がした.その印象たるや,非常に高いレベルにおける瞑想状態を経験したときのような深いカタルシス,そして,なにか言葉で言い表せぬような神聖なものに触れた感動に血液が沸き立つようであった.大自然の移ろいゆくからこそ美しい朝焼けや夕焼けの壮大な光景を前にして,目に映るものすべてを愛おしく思い,自分自身や,この世にあるもの全てを抱きしめたくなるような感覚をよく,われわれは経験する.フィーリングアーツには,このような感覚,というよりも,限りなく神々しい魂や概念が付加されたような清々しい感動があり,自分の中のいろんなベールが取り外されむき出しになった素の感情や情動をわしづかみにされて揺り動かされるようなそんな強い感銘を受けた.(小野綾子,神戸市看護大学)

●北村義博さんのフィーリングアーツを説明するのは言葉では表現できない.なぜなら,魂のゆらめきというか,宇宙空間をさまようというか,とにかく金色と墨と泥で描かれた抽象画の上で,光と暗黒の視覚の世界が,音楽,または自然の音という聴覚からの情報によって呼び起こされる人間としての感覚に訴えてくるものとしか言いようがない.だから,感じる人は何かを感じ取り,見えたものしか見えない人には見えたものだけの世界でしかないのであろう.「見えても見えなくても,自分の気持ちのままにご覧ください」と北村さんが公演を始める前に言うのは,観客にとっては救いである.わからなくてもいいのだと観客は自分を納得させて見ていることができる.公演中ずっと目をつむっていた若い女性が,頭の中が無の境地になり,大自然に触れているように感じていたと感想文を書いた.「おじさんたちがいっぱい涙を流していた.きっととっても癒されたのでしょうね.」と伝えてくれた人は,他の人への思いやりと優しさを自分自身のなかに培っていた.フィーリングアーツとは自分自身への問いかけの時間と空間であり,感じるアーツである.公演終了後にこころに溢れているものは,爽やかさと安らぎであった.今,私たちが活動援助を行っているバングラデシュの地方都市で,経済的に恵まれない人たちや,透析装置がないために治療を受けられない現地の腎臓病患者さんたちと一緒に,北村さんのフィーリングアーツを見てみたいと思いました.(木村春江,東京大学医科学研究所)

●毎日,何かに追われるように暮らしていると,いつの間にかボンヤリと自然に包まれて過ごす時間をもたなくなってしまう.そしてさらに効率的に,効果的に過ごすようになってしまう.ゆっくりと立ち止まって息を吸いそして息を吐く.自分で何かをしようと考えずに,何ものかやすらぎを与えてくれるものに身をまかす.そういう大切なときを手にする貴重な機会との出会いがフィーリングアーツにはある.無心に色と模様の移っていくように心を遊ばせる.意味を見つける必要もないし,何かを発見することも不要だ.ただ光と陰を感じ音に心を遊ばせる・・・それだけでいい.何者かに生かされている人たちとの触れ合いがそこに生まれてくるのだ.(倉光弘巳,芦屋大学学長)

●飽くことなく刺激を求める私たち現代人に失われたものは何なのだろう?たしかに私たちは退屈しない,しかし満足もしていない.そんな時,北村さんのフィーリングアーツは,私たちの心と精神とを目覚めさせる.そこでは,静かさと自分に誠実になる気分が回復する.たしかに時代に翻弄されて私たちの生も死も虫けらのようだ.しかし,そのために生まれてきたのではあるまい.フィーリングアーツはいつのまにか私たちの思索と詩作を促す.自分の生命には自分だけのリズムがあり,余人には代え難い品性があることを自覚させてくれる.私の存在理由を直感したように希望が生まれ,芸術の存在理由も理解する.それは,あまりにも希有な時だ.(濱下昌宏,神戸女学院大学文学部,美学専攻)

●私は,北村さんがフィーリングアーツの公演をされるとき,鑑賞者としてではなく,傍らで客観的に拝見させていただく機会がありました.そのとき,この芸術がなぜこころの癒しにつながるのか,ある確信をもちました.この芸術を単に鑑賞してもすべて癒しにつながるとはかぎらないと思います.芸術としてのフィーリングアーツ自体から発せられる問いかけが,感動・やすらぎ・希望などの様々なフィーリングを伴って,その人なりのイメージを自由にこころに誘発させていると思いますが,それだけではなく,北村さんの,何ものも否定しない,言葉による最小限の問いかけが,その人なりのこころの解釈を促し,自らのこころを自ら表現することを促しているのだと思います.そもそも芸術には国境はありませんが,この癒しの手法は,宗教・民族・文化を超えて拡がっていくであろうことを確信しています.(吉岡隆之,神戸市看護大学健康・行動科学系) 戻る
 

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